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東ローマ帝国は「文明の十字路」と呼ばれる諸国興亡の激しい地域にあったにもかかわらず、4世紀から15世紀までの約1000年間という長期にわたってその命脈を保った[3]。その歴史はおおむね以下の3つの時代に大別される。なお、下記の区分のほかにマケドニア王朝断絶(1057年)後を後期とする説がある。また、コンスタンティヌス1世がローマからコンスタンティノポリスへ遷都した330年をもってビザンツ(東ローマ)帝国史の始まりとする場合もあり、たとえば著名なビザンツ史学者ゲオルク・オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』では遷都直前の324年から始まっている。
セルジューク朝

セルジューク朝(アラビア語 : السلاجقة al-Salājiqa, ペルシア語 :سلجوقيان
Saljūqiyān)は、11世紀から12世紀にかけて現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝。(大セルジューク朝
1038年 - 1157年、最後の地方政権のルーム・セルジューク朝は1308年に滅亡)。
テュルク(トルコ)系遊牧民の君長セルジュークを始祖とする一族、セルジューク家に率いられた遊牧集団により建国された。この遊牧集団を一般にセルジューク族というが、セルジューク族という語にあたる原語セルジューキヤーンは、「セルジューク家に従う者たち」という程度の意味で、全てが血縁的結合をもった部族集団というわけではなく、セルジューク家のもとに結集した様々な集団の集合体というべきものである。セルジューク族のトルコ国家という意味からかつては「セルジュークトルコ」や「セルジュークトルコ帝国」、「セルジューク朝トルコ帝国」という呼称がしばしば用いられたが、現在はセルジューク朝と呼ぶのが一般的である。セルジュークはテュルク語による人名をアラビア文字で記したもの(
سلجوق Saljūq/Seljūq )をペルシア語風に発音したかたちで、元来のテュルク語ではセルチュク(Sälčük/Selčük)といった。 |
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